第四話 Again

2018年6月13日、新鹿児島市の郊外の住宅地

うだるような夏の日差しの中、二人の高校生が学校からの帰路を急いでいた。二人ともかなり背の高く、その内の一人は武道でもしているかのようながっしりとした体つきをしていた。日に焼けた顔、鋭い眼光と短い頭髪は、彼に精悍な印象を与えていた。その横を歩いている少年は、エネルギーの固まりと言った少年とは全く正反対の雰囲気を纏っていた。しなやかと言う表現がぴったり来る細身の体つきと後ろで縛った長い頭髪、色白な顔、優しい瞳は彼に中性的な印象をもたらしていた。
奇妙な取り合わせに見える二人組なのだが、色白の顔をした少年が、相方の色黒の少年の不満をおもしろそうに聞いているところを見ると、この二人はなかなか良い組み合わせなのだろう。色黒の少年は、折からの日差しに、『暑い』とぶつぶつと漏らしていたのだ。

「なあ、シンジ。おまえ、今日も道場に行くのか」

Yシャツの襟元をばたつかせながら、色黒の少年は隣で涼しい顔をしている少年に声を掛けた。

「うん、ムサシ、今日は先生に稽古を付けてもらえるからね」

暑くてたまらないと言うムサシの様子を気に留めることもなく、シンジは嬉々としてそう答えた。その表情は如何にもこれからの稽古を楽しみにしているようであった。

「まったく熱心な奴だな。よくこんな暑い日に稽古する気になるな」

あきれたと言う表情を隠すことなく、ムサシはもう一度Yシャツの襟元をばたつかせた。空には、手加減の一切無い焼け付く太陽があった。

「暑さはそんなに気にならないよ。
それに先生に稽古を付けて貰うのは貴重だからね。
なんか、こう、体が引き締まる気がしてさ楽しいんだ」

そんなムサシの様子に“くすり”と笑みを浮かべ、シンジは自分の感じている気持ちをムサシに伝えた。その一転の曇りのない表情にあきれながら、ムサシは小さくため息を吐いた。

「まったく何が楽しいんだか……
まあ確かにシンジは強いし、練習ずきだし。
じいちゃんが気にいっているのもわかる気がするな」
「本当?」

それはいいことを聞いたと、シンジは顔を輝かせた。

「ああ、レイコの婿養子にして跡を継がせたいともいっていたぞ」
「ぼ、ボクとなんかじゃレイコちゃんがかわいそうだろ。」

だがそれも、突然のムサシの言葉に狼狽へと変わった。そんなシンジに向かって、ムサシは練習好きと聞かされた以上にあきれた表情を返した。

「何を行ってるんだシンジ。
レイコが嫌がるわけないだろ。
そういうお前はどうなんだシンジ」
「なっなにいってんだよムサシ。
家族ぐるみでつきあいがあるから仲がいいように見えるだけだろ。
お互いそんなこと思ってないよ。」

シンジはさらに顔を赤くすると、自分とレイコと言う女性の関係を賢明に否定した。その鈍感さに、ムサシは心底あきれたという表情を浮かべ、更に言葉を続けた。

「おまえ、本当に気づいてないのか?レイコの気持ち。」
「いや……」

シンジは少し考えるような振りをしたが、やはりわからないと答えた。その答えは、ムサシはあきれるというのを通り越し、少し苛立ちすら感じさせた。

「おまえなぁ、鈍いのもそこまで来ると罪だぞ。
ところでレイコは、おまえから見てどうだ」
「どうだって、何が?」

俺をおちょくっているのか?そう叫びたいのを押さえ、ムサシは言葉を続けた。

「女としてどうかって聞いているんだ」
「おまえんとこのレイコちゃんはいい子だよ、でも」
「何だ?」
「兄貴がお前というのがどうも……」

そのシンジの言葉に、ムサシは脱力した。それと同時に自分の友人が、この手の話から意識的に話を逸らしているのを思い当たった。いつもは誠実な友人が、話を逸らす理由。そのことに立ち入っていいのだろうかとムサシは考えた。この2年間のつきあいで親友と呼べる間柄になった。それでもこの少年には、立ち入ってはいけない領域がいくつも有ることを彼はきちんと理解していたのである。確かに妹の気持ちを考えると、はっきりさせたい気持ちもある。しかし、周りがなんと言ったところで、詰まるところは2人の問題である。そう割り切り、ムサシはこれ以上の追求を止めることにした。

「おまえなぁ、それじゃレイコがかわいそうだろう?
あいつは、一生俺の妹なんだからな」
「ごめんごめん」

シンジは、ムサシが自分に気を遣ってこれ以上踏み込んでこないことに感謝していた。親友の妹との事に真剣に対峙した瞬間、自分の心を整理しなくてはいけなくなる。しかしシンジにはその踏ん切りがまだついていなかった。もちろん、いくらシンジでも、いつも自分の側に居るレイコの気持ちは気がついていないはずがない。その気持ちはうれしいし、彼女に対して憎からず感じているのも確かだった。しかし、シンジにとっては2年という年月は短すぎた。未だに過去を引きずる彼にとって、中途半端な気持ちのまま彼女とつき合うことが出来なかったのである。だが、何もあかさないではぐらかし続けることは、自分の事を気遣ってくれる親友に対して不誠実な行為だとも悩んでいた。だからシンジは、この機会にと自分の心の内を少しだけ話す事にした。

「ボクには好きな子がいたんだ……
いや今でもその子のことが好きなんだと思う。
もう2年以上あっていないのにおかしいね。
もう遠くに離れてしまって、彼女が今どこにいるのかも分からない。
一生あえないかもしれないのに今でも忘れられないんだ。
だからこんな気持ちでレイコちゃんと付き合うことなんかできないよ。
勝手だとは思うけど」
「わかった」

ぽつりぽつりと心の内を話し出した親友に、ムサシはそう短く言った。後に残ったのは、季節を忘れたセミの声だけたった。

***

稽古を始めるときにはまだ高かった陽も、少年たちが汗を流し終えた頃にはその姿を遠くの山に隠そうとしていた。夕日に染められた街を、道場での稽古を終えた二人は連れだって歩いていた。ムサシは打たれた肩をさすりがら、その痛撃を加えた友人にこの日何度目かの不平を漏らしていた。

「まったく少しは遠慮というものを考えろよな。
手加減なしで打ち込んできやがって……
まったく、『人を傷つけるのはいやだ』とか、かわいいことを言っていたシンジはどこへ行ったんだ」
「それが『礼儀』なんだろ先輩」

恨めしそうに言うムサシに、シンジは涼しい顔をして切り返した。いつも練習の後に交わされている会話。その会話を2人は楽しんでいた。

「まったく、たった2年でこんなに強くなりやがって。
おまえ本当に初心者だったのか?
まったく天才ってやつは本当にいるんだな」

相変わらず痛みを訴える肩をさすりながら、ムサシはそう続けた。このほっそりとした親友は、自分の10年を越える努力をたったの2年で越えようとしていたのだ。彼が、『天才』と言う言葉を使いたくなるのも仕方のないことだった。しかし『天才』という言葉は、シンジに一人の少女の事を思い起こさせるキーワードでもあった。シンジから見たら、その少女こそ天才と呼ばれるのに相応しかった。それに比べたら自分はまだまだ大したことはない、いつもシンジはそう思っていた。
一方ムサシは、親友の心の中の事など知るわけもない。だからムサシは、自分の言った言葉で急に黙ってしまった友人の様子が心配になった。

「どうした、何か悪いことを言ったか」
「いや、別に……うん、師匠や、先輩の指導が良かったんだよ」

シンジは笑顔を浮かべると、そう答えた。それはまたシンジに取っての真実。今の彼は、2人の助け無しではあり得なかったのだ。

「まあいいや。
おまえが強くなることはある意味で喜ばしいことだからな。
ところで今日お前ん家寄ってもいいか?」
「今からかい?
別にかまわないよ。マナもいると思うし」
「なっ何でそこにマナが出て来るんだ」

『見え見えなのに』そう思いながら、たまにはからかってもいいだろうと、シンジはさらに言葉を続けた。

「今ムサシがどもったことが理由だよ」
「シンジ~」

シンジはムサシの恨めしそうな表情に気づかない振りをした。

「何か間違ったこと言ってる?」
「もういい。とにかく行くからな」

ムサシはシンジの態度に、あきらめたようにため息を吐きその話題をうち切った。このことに関しては自分の分が悪いことは分かっていたのだ。

「はいはい。ところで何の用?」
「いやちょっとな」
「襲うなよ」

シンジは、ここぞとばかりシナを作って言った。

「だれが襲うか~」

いつも行われる馬鹿話。シンジは、ムサシとこういった話をすることが出来る事に満足を覚えていた。心をすり減らすような緊張からようやく解き放たれた。シンジは心から今という時を楽しんでいた。そしてこの平和がいつまでも続いてくれることを願っていた。そして、今も自分の心の中にいる金髪の少女、その少女の姿を黒髪の少女が取って代わるのもそう遠いことではないだろう。そうシンジは感じだしていた。
だが、シンジの平穏の時は一人の使者によって破られようとしていた。シンジの心の奥底に潜んでいた恐れは、家の前に止まっていた車の中の黒服を見たとき、現実のものとなって浮上してきた。
その車を見たとたん、シンジは背中に冷や汗が流れだすのを感じていた。その黒服達には見覚えがある。だが、まさか……そう言う気持ちがシンジに有った。そのとき、急に自分の手足に重りを付けられたような気分にシンジは捕らわれた。
隣で冷や汗を流しているシンジに気づかず、ムサシはしげしげと車を見回した。その物々しさは、のどかな周りの景色から完全に浮き上がっていた。

「へぇ~、なんか立派な車だな。
お前ん家の客か」
「さっさぁ、とにかく入って見ようよ。
そうすれば分かるから」

さすがに動揺は隠せなかったが、シンジはなんとか気を取り直すことに成功し、玄関のベルを鳴らした。その音が響いたとたん、扉の向こうからパタパタという軽快な足音が2人の耳に届いた。そしてその音が、玄関に来て止まったとき、勢いよくその扉が開いた。

「お兄ちゃん、お帰りーって、なんだムサシもいるの」

そのどこまでも明るい声と、隣に立つ友人への言葉に、シンジは苦笑いを浮かべ、ムサシは不満に頬を膨らませていた。しかし肝心の少女は、2人の少年の様子を気に留めることなく、嬉しそうに一家の一大事の報告を始めた。

「ねぇねぇお父さんね今度教授になれるの。
お父さん今日教授に呼ばれて言われたんだって。
今の大学とは違うんだけどね、どうやらむこうがお父さんのこと指名してきたらしいわよ。
えーっと、確か第三新東京市にある大学だって……」

父親の栄転を嬉しそうに話す少女を見ながら、シンジは漠然と感じていた不安が現実に変わるのを感じた。そんな思いを押さえ、普段通りにその少女に帰宅を告げた。

「ただいまマナ。
お客さんが来てる様だけど、その話なの」

シンジの不安に気づくはずもなく、マナはいつもの通り明るく答えた。

「ううん、お兄ちゃんのお客さん。
えーっと、確かネルフのひゅうーがさんって言ってたわ。
結構かっこいい男の人。今お父さん達と話しているよ。

日向の名前に、シンジは少し安堵の気持ちを感じていた。幹部である彼が来たことで、たまたま様子を見に来ただけなのかも知れないと考えたのだ。

それはないだろうと思いながらも、そうあって欲しいとシンジは願った。

「へぇ~、日向さんが来てるの、懐かしいな~」

だから努めて冷静に聞こえるよう、シンジは言葉を選んだ。

「ねぇ、日向さんってお兄ちゃんとどんな関係なの」

兄の昔の知り合いと言うことで、マナは興味深げにその関係を尋ねた。兄のことに興味満々の少女にとって、どんな情報でも貴重な情報なのだ。

「昔ちょっとね、お世話になったんだよ」

だがシンジは、そう曖昧に答えることしかできなかった。

「第三新東京市?ネルフ?まさか例のあれか?」

今度はムサシが口を挟んだ。そこでようやく、シンジはムサシの父親が戦自に居たことを思い出した。少しは父親から自分の事を聞いているのだろう。ネルフの存在は秘密ではないが、広く一般の人が知る物ではない。だが、はっきりと答えるわけには行かず、シンジの答えは曖昧なものになった。

「うん……」

そのとき、いつまで経っても上がってこない息子を心配し、家の奥から40過ぎの温和な顔をした女性が出てきた。霧島ミドリ、シンジの新しい母親だった。

「お帰り、シンジ。
あら、いらっしゃい大和くん、ゆっくりしていってね。
さあさあ、お客さんをお待たせするんじゃありません。
シンジ早く着替えて居間に行きなさい」
「分かったよ母さん。すぐ行くよ」
「お邪魔しますおばさん」

そう言うとシンジ達は階段を上り、自分たちの部屋へと向かった。後をついてくるマナとムサシに向かってシンジは2階で待っているように頼んだ。

「そうだ、ムサシはマナと待っててくれないか。
マナいいよね」
「えーっ、お兄ちゃんのところじゃだめなの?」

自分をのけ者にするのかと、少しマナは膨れて見せた。

「話が終わるまで一人でほおっておくわけにはいかないよ、ムサシもいいだろ」
「ああ、マナがいいなら……おじゃまさせて貰うよ」
「もう、お兄ちゃんたら」

階段を上がってマナの部屋に入ろうとしたムサシに、シンジはマナに聞こえないように小さく耳打ちした。

「がんばれよ」

一言いうと手をひらひらさせながら自分の部屋に入っていった。後には顔を真っ赤にしたムサシとシンジの言葉が聞こえず何の事か分からないといった顔のマナが取り残されていた。

***

「お久しぶりです日向さん」

シンジは急いで着替えを済ませると、すぐに居間へおりていった。目の前に座るのは、今は過去のこととして整理された、思いでの中に居る人だった。

「久しぶりだねシンジ君2年半ぶりかな。
あのときは見送りにいけなくて悪かったね」

何から話すべきか、日向は迷った末、結局当たり障りのない過去のことになった。

「いえ、もういいんです。それよりみなさんお元気ですか」
「ああ葛城さんも赤木博士もマヤちゃんもみんな元気だよ。
それに街も復興してみんな帰ってきたよ。
シンジ君の友達もそうだ、トウジ君、ケンスケ君、ヒカリちゃん」

そういいながら日向の態度は落ち着かなかった。シンジはそれを見て日向の用件を確信した。それと同時に、タイミングの良すぎる父親の栄転の話にもネルフがかんでいることを理解した。シンジはそんな手口をとったネルフに、少し嫌悪の気持ちを抱いた。

「ところで今日はどうしたんですか。
ここに来てネルフの人が尋ねてくるのは初めてなんですよ」

昔を懐かしんで来たのではないことは明白だった。それならば自分が必要とされる理由は一つしかない。それは分かっていたが、シンジはあえて気づかない振りをした。

「いや……その、特に用と言うわけでは……」

やはり言い出しにくいのだろう。彼自身、割り切らなくてはいけないことは理解していた。しかし、日向はそこまでビジネスライクにはなりきれなかった。
その姿に、シンジは溜めていた息をはあっと吐き出した。別に日向が悪いわけではないのだと言うことは理解している。少なくとも保安部がいきなり踏み込んでこないだけ、ネルフは誠意を見せているのだろう。シンジは笑顔を作り、言いにくそうにしている日向の代わりに核心の話を切りだした。

「日向さんって嘘が付けませんね。
もう一度エヴァに乗れ。
そう言いに来たんですよね」

日向はいきなりシンジに核心をつかれ少し戸惑った様子を見せたが、逆に開き直ったのか堰を切ったように話し出した。

「そうなんだ、申し訳ないがまたエヴァに乗ってもらわないといけない事態が起こったんだ。
でも昔とは違うんだ、乗る乗らないはシンジ君の意志で決めてほしい。
無理に連れていくようなまねはしない」

そこまで吐き出した日向は、最後にどうして分かったのかと尋ねた。そんな日向に、シンジは小さくため息を返した。

「何の理由もなくこんなところまで来るほど、日向さんは暇じゃないでしょ。
それに何かを隠しているような顔をしていました。
だいたい、ネルフで僕に関係すると言ったらエヴァしか無いじゃないですか」
「ははは、お見通しか、シンジ君成長したね」

はっきりと言いきられたことに、日向は自嘲気味に笑ってほめ言葉にならないことを口にした。

「でも、どうして今頃なんですか。
もう戦う理由なんて無いはずじゃないですか」

苦笑いを浮かべていた日向だったが、シンジの言葉にすぐに顔を引き締めた。そしてシンジにとっては最も聞きたくない言葉を口にした。

「使徒が現れたんだ。
襲われた支部がデータとも壊滅しているので詳しいことは分からないが、
第三、第四使徒に似た使徒が目撃されているそうだ」
「襲われたところはどうなったんですか」

使徒が現れたという話しに、シンジは自分が震えているのを感じていた。

「最初に襲われたドイツ支部は、エヴァによる迎撃を行ったがエヴァとともに壊滅。
イギリス支部、フランス支部は何も抵抗できないまま壊滅。
避難が間に合わなかったため、生存者は1%にも満たなかったそうだ」

ドイツ、エヴァ……その言葉に、シンジは思わず身震いをした。エヴァと言う兵器は、そう簡単に乗れる代物ではない。だからこそ、ネルフを逃げ出した自分にも声が掛かったのである。だが、そうなるとシンジの悪い予感は、ますます真実みを増してくることになる。

「エヴァが迎撃に出たんですか……」
「ああ、ドイツ支部には9号機が有った。
使徒の襲撃に対してドイツ支部は9号機を出撃させたよ。
その作戦の中で、パイロットは自爆をして使徒を止めようとしたがそれに失敗。
ドイツ支部は壊滅、襲撃した使徒はいずこへか消え去った」

自爆と言う言葉にシンジの胸がきりりと痛んだ。そして同時に、シンジの胸の中に黒い雲がわき上がってきた。

「ぱ、パイロットは……僕の知っている人なんですか」

シンジとしては聞きたく無かった質問。だが、避けては通れないことも分かっていた。

「アスカちゃんだよ、シンジ君。
でも安心していい。自爆はしたが、彼女は無事だよ。
今は治療のため、日本に移送されている」

最悪ではない『無事』と言う言葉に、シンジはひとまず安堵の息を吐いた。

「それでアスカの具合はどうなんですか」
「ああ、かなりひどい怪我を負ったけど、命に別状はない……」
「そうですか……大丈夫なんですね……よかった」

シンジはアスカの容態に気を取られ、言いよどんだ日向の口振りに気がつかなかった。アスカが無事なこと。今はそれがすべてであった。そして『彼女が日本に居る』、その事実はシンジの胸を絞めつけた。もう会うことも無い、違う世界に済んでいると思った存在が手の届くところに現れたのである。
しかし、とシンジは考えた。自分はアスカの前に現れる資格があるのだろうかと。確かに自分の心の中にはアスカが居る。しかしそれは自分の勝手な思いこみである。何より自分はどんな理由を付けたところで、アスカを見捨てて逃げ出したことには変わりはないのだ。

『アスカが僕の事を許してくれる』

それはどれだけ自分勝手な考えか、シンジは良く理解していた。
そしてもう一つ、シンジを悩ませているものが有った。それは彼を迎え入れてくれた家族の事である。もし自分が戦うこととなった場合、今の家族から離れなくてはならないのだ。公表されてはいないが、先の戦いの時、どれだけの人が命を落としたのか。シンジはイヤと言うほどそれを見てきていたのである。親友からは、その妹がけがをしたことで殴られたのだが、それを考えれば、自分は何回か殺されているぐらいなのだ。
つまり、家族が自分と一緒に来るというのは、父や母、妹にその危険を冒させることになる。さすがにそれは、彼としても耐えられないことだった。実の父母からは最後まで得ることの出来なかった安らぎを、シンジは今の両親から与えられたのだ。そして家族のぬくもりと言うものを妹から教えられた。その大切な人達を危険にさらす。シンジはそれを罪悪と感じる一方、自分からそれを捨ててしまうこともまた怖れていた。今のシンジにとって、家族というものはそれほどの重みがあるものだった。

「もし、ボクが乗らないって言ったらどうなるんですか」

シンジとして、そのような選択肢は無いことはわかっている。それでもそう聞かないわけにはいかなかった。

「鈴原君達が戦うことになる」

日向の口から出た、忘れられない友達の名前にシンジは驚いた。

「鈴原君達って、トウジがまた乗っているんですか。
それにまだ他にも居るんですか」

シンジにとって、トウジがまたエヴァに乗ること自体驚きだった。彼自身、エヴァに乗ることで消しがたい傷を負っているはずだった。

「ああ、ケンスケ君がのっている。
今はこの二人がメインパイロットだ」

シンジは、ケンスケが未だにエヴァに対して執着を持っていたのかと考えた。しかしその考えはすぐに捨てた。今彼がどんな事情でエヴァに乗っているのかを知らずに、そう勘ぐることは何より彼らに失礼以上の何者でもなかった。

「そうですかトウジとケンスケが乗っているのですか。
それで二人はどうですか、使徒に勝てますか」

アスカが勝てなかった相手に、実戦経験の無い2人が勝てるとは思えない。そう考えること自体傲慢なことは理解していた。

「はっきりと言って難しいだろう。
何故アスカちゃんが負けたのか分からないが、彼女より遙かに実力の劣る2人だ。
普通に考えれば勝算は0に等しい。
もちろんシンジ君が来てくれたから勝てると言うものでも無い。
ただこちらは2体で運用できること。
そして葛城さんと赤木さんが居る。
だから可能性を信じてみたいと思っている」

それまで2人の会話を黙って聞いていたユウイチだったが、シンジが戦いに加わることを前提の会話に待ったを掛けた。

「日向さん。
私はシンジの親として、このお話に反対いたします。
シンジが以前どんな目に遭っていたのか、あなたもご存じでしょう。
今度もまたそうならないと言う保証は無い。
そんなところに自分の息子をやるわけには参りません」
「しかし……」
「日向さん、あなた達の立場は理解しています。
しかし、今のままでは私どもが了解するわけにいかないのもご理解願います」

日向も、簡単に行くとは思ってはいなかった。しかも『人類存亡の危機』と言う言葉が、如何に役に立たないのかを彼は理解していた。それは押しつける方のエゴであるのだ。日向は助けを求めるようにシンジの顔を見た。

「父さん、ありがとう……でも良いんだ。
これは僕がやり残してきたことだから。
でも日向さん、一つだけお願い……条件が有ります。
僕の家族を巻き込まないで欲しいんです」
「それはもう……」
「待ちなさい、シンジ!」

日向は、シンジの言葉に助かったと言う顔したのだが、そのとき凛としたミドリの声が居間に響いた。

「シンジ、考え違いをしてはいけませんよ。
あなたが行くと決断したのなら、私たちは止めません」

ミドリのその言葉に、ユウイチは頷いた。

「でも、あなた一人で行くことは決して私たちは許しません。
あなたが行くというのなら、私たちもついていきます。
息子一人、そんなところに行かせるわけにはいきません」
「でも母さん」
「でもじゃありません。
これは決定事項です。
それともシンジは父さんと母さんを捨てるの?」
「そんなつもりはないよ。
でも、みんなを危ない目に遭わせたくないんだ」
「私たちは、シンジを一人で辛い目に遭わせたくないの。
確かに戦いの中で、私たちは足手まといになるのかも知れません。
それでも私たちはシンジを見守っていたい。
迷惑かしら、私のこんな考えは?」
「迷惑だなんて……嬉しいよ。
でも……」
「なら迷うことは有りません。
私たちもついていきます。
でも、あそこでお行儀悪く覗いている子はどうしましょうね」

ミドリにそう言われて、マナはドアの陰からばつが悪そうに出てきた。そして少しふくれながら、ミドリの横に腰を掛けた。しかしシンジを見つめる視線には、はっきりとした怒りが現れていた。

「置いていくって言ってもついていってやるんだから……」

そう言うマナを見てミドリは微笑んだ。

「そう言う事よシンジ。
あなたの家族は置いて行かれるのが嫌いなの」

家族の言葉に、シンジは胸の内が熱くなるのを感じていた。そしてシンジは、今感じている思いを口にすることは出来ず、ただ頷くことしかできなかった。

「そう言うことです、日向さん。
シンジはネルフに協力いたします。
冬月先生にお伝え願います。私たちも参りますと」

ミドリの承諾に、日向は安堵の表情を浮かべた。シンジに承諾させると言う重責を果たすことが出来たのだ。彼は、少し連絡の必要があるからと言って席を外した。

***

一通りの用件が終わった後、日向はそそくさと霧島家を立ち去った。その姿を見送りながら、シンジは一日の事態の展開に思いをはせた。
再びエヴァに乗り戦うこととなった。そのためにはいくつも自分の中で乗り越えなくてはいけない問題が有る。アスカとの関係もそうだが、それ以外にもトウジとの関係もある。結局自分は、彼に詫びることなく第三新東京市を去った。果たして自分は彼らに受け入れて貰えるのだろうか。
シンジはいつの間にか隣に立っていたムサシを見た。
自分はこの男のお陰でどれだけ助かったことか。せっかく結んだ友誼もこんな形で断ち切ってしまう。しかも彼の妹とのことも、何の決着も付けないまま……
シンジは、ムサシに向かって頭を下げた。

「ごめん、ムサシ。
お別れをしなくちゃいけなくなった。
これまでいろいろありがとう。
ムサシにいろいろ助けられたのに……本当にありがとう」

本当にすまなさそうに頭を下げるシンジに、ムサシはそんなことはいいと首を振った。

「気にするな。それよりちゃんと決着をつけてこいよ」
「ああ、そのつもりだ……」
「なんのこと?」

納得したような顔を知る男二人に、どういう意味なのだと少しふくれてマナはそう尋ねた。

シンジとムサシは顔を見合わせニタリと笑った。

「秘密だよ、マナ」

マナはのけ者にされた不平にぷくっと顔を膨らませた。

「ひっどーい、明日リニアの中で問い詰めてやるから……」

マナのその顔は、2人に笑いを誘った。
その後マナは、急な転校を友人に告げるため電話を抱えて部屋に籠もった。そして家を出ていこうとしたシンジに、『レイコにはお兄ちゃんから伝えるのよ』と釘を差した。
シンジは剣術の師匠であるムサシの祖父の家に寄り、これまでの礼を言った。どれだけの礼を言ったとしても足りない恩を受けている。シンジにとって、大和ケンゴは剣術のみならず人生の師とも言える存在だった。
ケンゴはシンジの語るこれまでのいきさつと、シンジの決意を黙って聞いていた。そして話し終わったシンジに、一言『分かった』と告げ、引き出しの中から一通の書状を取り出した。

「こんなものは飾りにしかならんが、気持ちのものだ。もってゆけ」

和紙で作られたその紙の上には、達筆な文字で『免許皆伝』と書かれていた。その文字を認め、シンジは驚きの目で、ケンゴを見た。しかし彼は『飾りだ、気にするな』そう言って、シンジにその書状をもたせた。
シンジはその足で、ムサシの居る新家へと行き、ムサシの家族への暇乞いをした。そしてレイコを連れ出し、今まで気持ちをはっきりとさせなかった事を詫びた。そんなシンジに、謝るようなことではないとレイコは笑った。

「良いんです、シンジさん。
でも、一つだけ聞かせてくれますか」
「なに、レイコちゃん」
「私のことをどう思ってらっしゃいますか。
私は、私はシンジさんのことが大好きです」

真摯な瞳で自分を見つめるレイコに、シンジは嘘を吐く事は出来なかった。

「レイコちゃんの事は好きだよ。でも……」
「ありがとうございます。
それだけ聞かせていただければ十分です」

レイコは聞きたいことは聞けたと、シンジが言い淀んだことを問題にしなかった。

レイコを送り届けたとき、やけにムサシがにやけた顔をしていたのが気になったが、どうせ何かを勘ぐっているのだろうと、シンジはそのことを無視することにした。

しかし、シンジの予想は大きく裏切られることとなった。翌日、ムサシとレイコが大きな荷物を持って駅に現れたのだ。そのことを不信に思ったシンジは、その理由をムサシに尋ねた。するとムサシは「聞いてないのか?」と平然として答えた。

「おれたちも第三新東京市に行くんだよ。
おやじが今度ネルフに派遣されるんで付いていくことにした。
向こうでも一緒になるんだ、これからもよろしく頼む」

そういって、シンジの肩をたたくムサシと、にやりと笑って自分を見るマナ。そして頬を赤らめているレイコの姿に、シンジは「はめられた」と頭を抱えた。そんなシンジの姿を、見送りに来ていた両親達の笑い声が包んだ。

続く