<碇ゲンドウ宅食卓>
食事の後片づけが済むととリツコがお茶を入れた。
シンジは最初後片付けを手伝おうとしたのだがリツコにやんわりと断られている。
レイもシンジのシャツをつかんだまま放そうとしないのでシンジはおとなしく座っていた。
「ごちそうさまでした。リツコさん、お料理上手だったんですね」
シンジは少し意外だった。日頃、白衣で仕事をしている所しか見たことが無かったので家事をしているイメージが浮かばなかったのだ。
「あらありがとう」
柔らかな笑みを浮かべて座るリツコ。こういったところも前は想像しなかったなぁ、とシンジは思う。
「でも実際の所、アスカに教えてもらったおかげなのよ」
「アスカに、ですか?」
日本を離れる前の日々を思い出す。
いかに戦後処理の真っ只中であったとはいえ、シンジが帰らなかったり、少し風邪をひいたりした時の参上は……身震いがした。それらを踏まえた感想を口に出す。
「…信じられない」
「ふふ。今でも時々料理を教えてもらっているのよ?仕事もあるから時間の都合をつけるのがなかなか難しいけれどね」
「へえ」
葛城家の台所でアスカの指導を受けながら料理しているリツコの姿というのを想像してみる。
(あ…でも、なんだか…)
それはとても暖かな…
「当然、アスカの料理はもっと美味しいわよ」
「そっか…アスカもがんばってるんですね」
アスカががんばっていると聞いてシンジはうれしくなる。
「まぁ最初は、シンジくんが出て行ってから生命の危機を感じたんでしょうね。ミサトもそこそこには家事ができるようになったわ。…料理の方は…ま、仕方ないわね。あれも一つの才能だし」
こめかみを押さえて顔をしかめるリツコを見て、シンジも苦笑する。
「嘘みたいですけど…でもこれなら加持さんが戻ってきても大丈夫かな?」
「加持…君?」
何気なく呟いたシンジの言葉にリツコの顔色が変わった。
「ええ、加持さん………あ、もしかして…リツコさん、まだ…」
シンジは先ほどから黙ったまま二人の会話を聞いていたゲンドウの顔を見る。
特に表情に変化は無い。無い、が…
コトンと湯飲みをおくリツコ。
「…ゲンドウさん」
声が冷たい。
「な…なんだ」
一転、目に見えてびびりまくるゲンドウ。
「…加持君、生きているんですか?」
「あ、ああ、後でだな、その話そうと…」
「他に知っているのは?」
ゲンドウの言い訳を一顧だにせず尋問するリツコ。
「ふ、冬月だけだ」
「そう…」
そこでリツコは黙り込む。
『ズズズ…』
気まずくなってお茶を飲むシンジとゲンドウ。
ゲンドウは茶を飲み干すと席を立った。
「さ、さて先に風呂に入らせてもらおう」
「…ゲンドウさん」
「なっなんだ!?」
「レイもお願いします」
「あ、ああ。わかった」
シンジからレイを受け取るとそそくさとゲンドウは出ていった。
「…別人みたいだ」
足音が消えてから呟くシンジ。
「本当、私も最初は驚いたわ」
肩をすくめるリツコ。
「よく結婚する気になりましたね?」
実際、どうしてリツコがゲンドウなんか(自分の父親に向かってなんだもないが)と結婚する気になったのか不思議でならないシンジ。
(まぁ、結局僕が子供ってことなんだろうけどさ)
実の母親であるユイにはもう聞けないが、リツコがゲンドウのどこを気に入ったのかには興味があった。
「あら、昔のシンジくんみたいで結構かわいいのよ」
「…ほめられてるのかけなされているのかわからないんですけど」
複雑な顔をして言うシンジ。
「あら、もちろんほめてるのよ」
そう言ってリツコは楽しそうに笑う。
以前は見られなかったその笑顔を見てシンジは心が和むのを感じた。
「よかった…リツコさん幸せなんですね」
いろいろ思う所はあるけれど、とりあえず、リツコが幸せならそれでいい。
「ええ、夫はちょっと頼りないけれど、かわいい娘もできたし立派な息子も出来たしね」
そういわれてちょっと照れるシンジ。
「さて邪魔者はいなくなったことだし…」
「その言い方結構ひどいですよ」
「いいのよ。さてシンジくん」
リツコの顔が真剣になった。空気を察したシンジも背筋を伸ばす。
「今からネルフの技術部長としてではなくあなたの母親として質問するわ、いい?」
「はい」
「本当にネルフを継ぐつもり?」
ネルフ本部にその籍を置くサードチルドレン碇シンジは第一支部に2年の間出向していた。アメリカへの留学が公式な理由である。が、表があれば裏がある。裏の理由は要するに人質である。ネルフ本部とエヴァンゲリオン初号機からパイロットたるサードチルドレンを引き離すことによりフォースインパクトを起こす意志のないこと、初号機を動かす意志のないことを国連を始めとする各国家、各勢力に示したわけである。
だが、ゲンドウはそんなことだけのためにシンジを第三新東京市から出すほどお人好しではない。真の理由は当然、他に存在する。シンジが父親である現ネルフ総司令碇ゲンドウの後を継いでネルフの総司令となる。その過酷な目標を達成すべく徹底的な英才教育を行うのが本当の目的である。碇ゲンドウと碇ユイの間に生まれた少年の才能はその期待を負うに十分であり、既に数校の大学を卒業しいくつかの博士号も手に入れている。また、極秘裏に生還した加持リョウジが直接選抜し、自身も加えた教官陣による格闘、戦闘術の徹底的な訓練によりシンジは一級の兵士として鍛えられた。戦術、戦略立案、諜報活動の指揮、政治的駆け引き、経済戦争のあり方等々未だその道の超一流達(例えばミサトやリツコ)には及ばぬものの一流として差し支えない能力を持っている。17歳にしてこれであるから20代半ばには十分にゲンドウの後を継げるだろう。
…だけど今ならまだやめられる。
リツコはそう言っている。
平凡な人生を歩むことが出来る。
それは刺激のない生活かも知れないが裏表もなく平和で心静かな生活。
命のやりとりなど空想にすぎない世界。
シンジは空になった湯飲みを持ち上げて見つめる。
「…全てが終わった後、父さんが言ってくれたんです
『…すまなかったな、シンジ』
…そして、これからはみんなの幸せを、僕やアスカの幸せを守っていくためにネルフがあるんだって言ってくれました。その時、僕はとってもうれしかった。本当にうれしかったんです。僕やアスカを父さん達が守ってくれる。それが嘘じゃないことがわかってたから。
でも、父さんだって不老不死じゃありません。みんなそうです。いつかネルフを去る時が来ます。そのとき誰かが後を継がないと安心していられませんよね?
僕はアスカやあやな…レイやミサトさんや加持さん、リツコさんや父さん、みんなを守りたくてエヴァに乗りました。それが僕にできること、やるべきこと、自分で決めたことだったんです。でも、これからはエヴァで使徒を倒せばみんなを守れるというわけじゃありません。そのためにはやっぱりネルフが必要なんです。
みんなを…みんなの幸せを守るために僕が出来ること。もし、僕に父さんの後を継ぐことができる力があるなら…今は無くても、いつか手に入れられるなら…僕は、父さん達が僕達の幸せを守ってくれたように、僕の力でみんなの幸せを守っていきたいんです」
シンジは言い終えるとふう、と息を吐いた。
「…それでシンジくんは幸せ?」
リツコは厳しい目で問い掛ける。
「…自分を幸せにできない人間に他人を幸せにできるはずがないってよく言いますよね。誰の言葉か忘れちゃいましたけど。
昔、ミサトさんや加持さんも同じ様なことを言ってくれました。自分がどうしたいのか、それが一番大事だって。
僕はみんなを守りたい。みんなの幸せを守ってみんなの笑顔を見続けられたら………僕はきっと幸せです」
そう言ってシンジは笑顔を浮かべる。その笑顔は澄み渡っていて一点の曇りも無かった。
「そう…シンジくん、大人になったわね」
リツコは優しい眼差しで言った。
「…まだまだ子供ですよ」
「いいえ。シンジくんは使徒と戦ってた頃から私なんかよりずっと大人だったのよ」
リツコは昔を思い返すように目を閉じる。
「リツコさん…」
「ふふ…今のを聞いたらゲンドウさん涙を流して喜ぶわね」
「父さんが?」
(…とても想像できない)
「そう、あの人あれで結構親馬鹿なのよ」
そう言ってちらっとドアの方を見る。
「…さて、シンジくん」
「はい」
「シンジ君の覚悟はわかったわ。私も力の限り協力させてもらうから、できることがあったら何でも言ってちょうだい」
「はい。…あ、早速ですけどMAGIのアクセス権を頂けますか?いくつか考えていることがあるので」
しばし考えるリツコ。
「そうね…報告書通りなら実力は十分あるし…いいわ。明日にでもマヤに手配させるわね…私しか知らない裏コード集を教えてあげるからどんどん使ってね」
そういってにっこりと笑うリツコ。
「え、いいんですか?」
「気にしなくていいわ。アクセス権も私を除けば最高位にしておくから」
「そ、そこまでしてもらわなくても」
「あら可愛い一人息子ですもの当然よ」
「はぁ」
「私の研究室は好きに使ってもらって構わないわ。私が出勤する日はレイもそこにいることが多いから喜ぶでしょう」
「はい。じゃ、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ええ」
「ところでシンジくん」
不意に話題を変えるリツコ。
「はい」
「みんなの笑顔が見たいって言ってたわね」
「ええ、そうですが?」
「誰の笑顔が一番見たいのかしら?」
にっこり笑うリツコ。
「り、リツコさん!?」
「ふふふふ、なるほどミサトは年中こういう楽しみがあったのね。うらやましいわ」
慌てるシンジを見て楽しそうに笑うリツコ。
「リツコさんはミサトさんと違うと思っていたのに…」
類は友を選べない、朱に交われば真っ赤に染まる、というけれど。
「冗談はおいておいて…シンジくん」
「はい」
「ミサトのところへ住みたいならそうしなさい。なにも気兼ねすることはないわ」
リツコの目は真剣だった。
「…リツコさん」
「自分に正直に生きなさい。私はそれに気づくのに随分かかったわ」
「…はい」
ふっと顔をゆるめてリツコは続けた。
「でも、たまには泊まりに来てちょうだいね。ゲンドウさんも喜ぶわ」
「父さんが…」
「そう。もちろん私とレイもね。…私たちは家族ですもの。それだけは忘れないでね」
「はい」
シンジはしっかりと頷いた。
<翌早朝 ネルフ本部>
「…んとに頭くるわねー」
ミサトは早朝に呼び出されてネルフ本部に来ていた。
ミサトの生態…生活習慣は知れ渡っているためか使徒が来たのでもない限り、深夜に呼び出されることはあっても早朝に呼び出されることはまずない。なのに今日は朝食の支度をするため早起きのアスカが起きた直後を見計らうように呼出があり、緊急事態ということで取るものも取りあえず出勤してきたのだ。
「相変わらず朝早いと不機嫌ですねミサトさんは」
「当然でしょ!本当にどこの馬鹿よ…?」
ミサトは言葉を止めた。
今、自分は誰と話した?
誰か知らないが話しかけられたのでつい答えてしまった…というよりも、その声に答えるのは自分にとってはあまりに自然なことであり…
視線を転じるミサト。
自動販売機を背にラフな服装の少年が立っていた。
随分と背が高くなり見違えるような姿になっているが、照れくさそうに微笑むその顔、その声はまぎれもなく…
「シンジくん!!」
衝動の赴くまま、ミサトは跳んだ。
「お久しぶりですミサトさん」
ミサトを抱きしめ、背中をさすって落ち着かせてからシンジは言った。
それを聞いたミサトが頬を膨らませる。
「ちょっとぉシンジくん?違うでしょ!」
「あ、そ、その…ただいま、ミサトさん」
ちょっぴり照れて言うシンジ。
「お帰りなさいシンちゃん」
ミサトの変わらぬ微笑み。
(ああ、僕は帰るべき所に帰ってきた)
シンジは心から思った。
「それにしてもかっこよくなっちゃってぇ」
ミサトはゴロゴロとシンジの胸に頭をこすりつける。
(…当ったり前だけどシンジくんも成長してんのね~)
「ミサトさん…猫じゃないんですから」
困ったような顔をしながらそれでも笑みを絶やさずシンジが言った。
「ごめんねぇ出迎え出来なくて。いつ帰ってきたの…って昨日リツコが資料をよこしたのはこれを知ってたからね~!おのれリツコ、よくも私のかわいいシンちゃんを!」
「僕の方こそすみません。真っ先にミサトさんにあいさつにいこうと思ったんですけど」
「シンジくん相変わらず優しいのね~お姉さんうれしいわ。いいのよシンジくんは全然気にしなくて。どうせ、リツコか碇司令の陰謀よ。まったく、シンジくんを独占しようだなんてネルフが許しても私が許さないわ!」
さすがはネルフ作戦部長、事態を正確に把握していた。シンジも苦笑するしかない。
「ま、朝早くから呼び出しただけマシね。おかげでちょっと眠たいけど…ふわぁ」
そう言ってシンジから離れたミサトは背中を伸ばして欠伸をもらした。
「ほら眠気覚ましだ」
そういって横から缶コーヒーが差し出される。
「あ、気が利くわね…!?」
目を見開くミサト。
「よ、葛城。久しぶり」
加持はそういって笑った。
「加…持?」
「ああ」
「死んだんじゃ…」
「ああ、おかげで足がいっぺん無くなっちまったから少し短くなったかな」
おどけて加持が言う。
「う…そ」
「本物ですよミサトさん」
パァァン!! カン!
缶コーヒーが床に落ちる音と甲高い平手の音が響きわたったのはほぼ同時だった。
そしてその後にはミサトの号泣だけが響いていた。
「はい、ミサトさん」
ハンカチを差し出すシンジ。
(やっぱりリツコさんに借りておいて正解だったな)
「あ、ありがとうシンジくん…その、変なとこ見せちゃったわね」
目元を拭きながらしどろもどろに言うミサト。
「いいえ、昔と違って嬉し泣きするミサトさんが見れてよかったです」
「む、昔って」
「そういえば俺のために毎晩泣いてくれたんだってな」
「あ、あんたねぇ」
「…うれしいよ」
ぐっとミサトが言葉に詰まる。何か言い返したいが真っ赤な顔では説得力に欠けるだろうと思いとどまる。
「葛城…」
「何よ!?」
思わず強く言い返すミサト。
「約束を覚えているか?」
「約束?」
「もし、もう一度会うことが出来たら8年前、もう10年前になっちまったか…10年前に言えなかったことを言うってな」
「…あ」
黙り込むミサト。
加持はシンジの方に向き直ると真剣な声で言った。
「…シンジくん、立会人を頼めるかい?」
「喜んで」
即答するシンジ。
「ありがとう」
加持はミサトに向き直る。
「………葛城」
「…」
「愛してる。俺と結婚してくれ」
しばし静寂が辺りを包み込む。
「葛城?」
「あんたって本当にひどい奴よね。何年も放っておいて、勝手に死んで、勝手に生き返って、人をこんなに泣かせて、そのうえ結婚してくれ!?」
「………」
加持は黙って聞いている。
「おまけに女心が全然わかってないときたわ!」
「すまない」
「答えなんかきまってるじゃない!!」
そういってミサトは加持にしがみつくと泣き出した。
「葛城」
「ひっく、本当にひどいんだから…OKに決まってるでしょ」
ミサトがそう言うと加持は力一杯ミサトを抱きしめた。ミサトも一層加持にしがみつく。二人とも…そして二人を見ているシンジも幸せだった。
「おめでとうございます。ミサトさん加持さん」
「やだ恥ずかしいところ見せちゃった」
さすがに照れているミサト。
「いいえ、僕もうれしいです」
本当にうれしそうに微笑むシンジ。
「ありがとうシンジくん。ところで…」
真面目だった加持の顔がいつもの顔に戻る。
「はい?」
「俺は平手一発だった。どうやら病院送りも免れそうだな」
そういってまだ赤い頬を指さす。
「何の話?」
「あ、はは」
シンジは乾いた笑いをもらす。
「なに、俺とシンジくん、どっちの方がひどい目にあうかって話さ」
「…あ、そっか。ふふ、シンちゃんもた~いへんよねぇ」
ミサトがいつもの笑いを浮かべる。
「…ミサトさん、ゆうべのリツコさんと同じ顔してますよ」
(どうしてそんなに立ち直りが早いんですか?)
そう思いながらシンジは言った。
「あら失礼ね。で、加持くんはどう思う?」
「そうだな一往復で両頬真っ赤ってところかな」
ニヤニヤと答える加持。
「加持さ~ん」
「甘いわ加持くん。二往復に蹴りが入るわよ、きっと」
これまたニンマリとした顔でミサト。
「ミサトさ~ん」
「さて、リっちゃんたちも待ってるだろうしそろそろ行こうか」
「そうね、とっちめてやらなくっちゃ」
その後、ミサトがリツコを問いつめ(さすがにゲンドウには文句が言えない)、シンジはリツコに無理矢理レイを抱かされ、それがミサトのからかいの種となり………そんな暖かい雰囲気の中でミーティングが進められた。
<通学路>
「おはようアスカ」
「おはよヒカリ」
「今日は早かったのね」
ヒカリは珍しく自分より早く待ち合わせ場所に来ていたアスカに何事かと思う。それを見透かしたのかアスカが事情を説明した。
「ミサトが早朝から呼び出されて本部に飛んで行ったもんだからこっちも早くなったってわけ」
「早朝から?…ミサト先生、今日は機嫌悪いわね」
ヒカリは天を仰いだ。雲一つない空が恨めしい。
「そうね。ま、学校に来れればいいけど」
「何かあったのかしら?」
「私達には呼出がないって事は大したことじゃないわよ」
結局の所ネルフの戦力といえばエヴァ以外に存在しない。そのパイロットであるアスカ達に召集がかけられない以上、ネルフに対する危険はないということになる。
「そ、そうよね…」
なにやら歯切れの悪いヒカリに少し考えるアスカ。
「?…はは~ん、さては」
ミサトや昨夜のリツコと同じ笑みを浮かべるアスカ。
朱に交われば赤くなるとはよく言ったものである。
「わ、私は別に鈴原が心配だとか…あ」
「ヒカリって本当に正直者よね~」
「うう…」
墓穴を掘って真っ赤になるヒカリ。
「ま、あたしはいいけどね」
(…にしてもヒカリも変わった趣味してるわね)
<ネルフ本部 ミサトの部屋>
この部屋にも無論正式名称はある。しかし本部内での俗称は『葛城一佐の部屋』で問題ない。シンジ達にしてみればミサト(さん)の部屋で終わりだ。終わり、なのだが…
「…やれやれ葛城の部屋は整理整頓なんて言葉とは一生縁がないと思ってたんだが…シンジくん、これはフォースインパクトも間近なのかもしれないな」
加持はミサトのデスクの前に椅子を引っ張るとしみじみと言った。
「うっさいわね~」
加持をにらみながらミサトが言った。
(ほんと朝涙を流して喜んでいた人物と同一人物とは思えないなあ)
そんなことを思いながらシンジはコーヒーメーカの方へと向かう。
なにはともあれ相変わらずミサトはミサトらしくてシンジは嬉しい。
「コーヒーいれますね」
「シンちゃんは優しいわね~。乗り換えようかしら」
「おいおい」
苦笑する加持。
マグカップを並べると3人は資料を手に取る。日頃、子供達のガードを兼任しているミサトに送られてくる諜報部の資料だ。
「さしあたりこのくらいを頭に入れておいて」
ミサトが示したのはアスカとトウジの交友関係である。筆頭にはケンスケやヒカリのデータがある。
「どうだシンジくん裏の世界がますます嫌になっただろう?」
その裏の世界で五本の指に入る加持が楽しげに言った。
「まったくですね」
「?」
加持を張り倒そうと思っていたミサトだったがシンジが笑って答えたため思いとどまる。
「シンジくん、変わった?…ていうか…」
(その、なんていうか…強くなった?)
「これも自分で選んだことです。それに…」
「それに?」
「俺がシンジくんに最初に教えたことさ」
加持が口を挟んだ。
「何よそれ?」
「ミサトさんには内緒です」
「男同士の秘密って奴だな」
そういって笑い合う二人。
「…なんか悔しいわね」
そう言って膨れっ面をしてみせるミサト。
<2年前 アメリカネルフ第一支部>
ガランとした会議室に加持とシンジはいた。
「さてシンジくん。これから君にいろいろなことを学んでもらうことになるわけだが」
そう加持は口火を切った。
「はい」
「その前にだ、一つ覚えておいて欲しいことがある」
「…なんですか?」
しばし考え込む加持。
「そうだな…例えば碇司令はネルフのために裏でいろいろと駆け引きをしている。政治取引とか俺を使っての工作活動とかだな」
「はい」
「シンジくんは碇司令を軽蔑するかい?」
「…いいえ」
「よし、じゃあ次だ。碇司令は使徒に乗っ取られた参号機を止めるためにダミープラグを使用し、結果、鈴原君は大けがを負った。今でも司令が許せないかい?」
シンジは少し考え込む。
確かにあのときは許せなかった。でも、今は父の気持ちを完全ではないが理解できる。
シンジは首を左右に振った。
「そうか。…さて、俺はこんな商売をしている。であるからには危ないこともいろいろやったし、殺した人間の数も数えきれない。俺の手は汚れて、血に染まっている」
「そんなことは…」
「そんな俺を葛城は受け入れてくれるだろうか?」
「決まっています!ミサトさんは、ミサトさんは…」
思わず大きな声を上げるシンジを加持は手で制した。
「いいんだ、俺もシンジ君と同じ考えだ。たぶん葛城は許してくれると思う。
…ところでアスカだったらどうかな?俺の仕事を全部知ったら…」
「加持さんだってわかっているんでしょ!アスカだってミサトさんと同じです!!
人を殺したことがあっても加持さんは加持さんです!」
加持がなぜこんなことを言うのかシンジにはわからなかった。
「俺もそう思う。…少なくともそうだろうと自惚れている」
「じゃあどうして!?」
「話を戻そう。シンジくんこれから君はそういう世界に足をつっこむ。一度つっこんだらディラックの海並に脱出は困難だ。ましてネルフの総司令になろうというんだ。沈むことはあっても浮かぶことは2度とない、わかるな?」
「…はい」
「君にその覚悟があるのはわかっている。でなければ、碇司令も君を俺に託したりしないし、俺も引き受けない。…だが、さっき言ったことは忘れないでくれ。たとえ人を殺したとしてもシンジくんはシンジくんだ。みんなが優しいというシンジくんだ」
「僕は優しくなんか…」
お馴染みの内罰的モードに入りかけるシンジを加持は引き留める。
「君が自分をどう考えているのかは知らない。だが、俺はそう思うし、葛城達もみんなそう思っている。…話がそれたな。俺が言いたかったのは、君が『僕の手は汚れている。そんな僕には好きな人たちのそばにいる資格はない。みんなと幸せになる権利なんてない』なんてことを考えたら許さないということだ」
真剣な目でシンジの目を見据える加持。
「加持さん…」
(…たしかに僕はそう考えるかも知れない。もし人を、いや、僕が選んだ道は時には人を殺さなくてはならない道なんだ。それでみんなが幸せになるなら…)
「もし、君がそんなふうに心を痛めたら、俺は自分も許せない。アスカや葛城、リっちゃんや碇司令に会わせる顔もない」
「…わかりました加持さん。そんなことは考えません」
ふっきれた顔をするシンジ。その目からはいつか見た強い意志を感じる。
「よし、じゃ心の準備はいいな。鬼教官達を呼ぶぞ」
そういって加持はシンジやミサトの好きな笑みを浮かべた。
「はい!」
<再びミサトの部屋>
「ま、いいわ。さ、さっさと頭にたたき込んで」
さっと頭を切り換えるミサト。
加持がシラを切ろうとしたら徹底的に切ることは重々承知している。
「はい、え…!?」
ファイルを見て驚くシンジ。
「どうしたんだいシンジくん…おやおや」
加持もまたシンジが驚いた理由を知り笑みを浮かべた。
<第三新東京市立第壱高校2-A教室>
「おはよう」
「おはよ」
アスカとヒカリが教室に入って挨拶すると声が返ってきた。
「おはよアスカ、ヒカリ」
「おはようございます、アスカさん、ヒカリさん」
ショートカットの健康的な美少女とロングヘアーの眼鏡の優等生型の美少女が挨拶した。名前は霧島マナと山岸マユミ。アスカ達といろいろな因縁がありながらも今は親友となった二人である。
赤みがかった流れるような髪と中学生の頃から他を圧倒するプロポーションと顔のアスカ。
今は伸ばした髪を紐で一つにまとめただけの正当派日本女性のヒカリ。
4人そろって天下無敵の壱高美少女軍団である。
ちなみにミサトが担任の2-Aに全員がそろっているため他のクラスの男子生徒や男性教師からは何度もクラス替えの要求が出されている。もっとも六人目の美女である(五人目は当然ミサト)副担任のマヤに理由を説明できないため要求は頓挫しているのだが。
続いて扉が開くとお馴染みの二人が顔を見せる。
「おはようさん」
「おはよう」
トウジとケンスケが同じクラスであるのももはや予定調和というものだ。(ネルフの陰謀という説がまことしやかに噂されている)
ちなみに『ジャージはわいのポリシーや』と言っていたトウジだが、ミサト、マヤ、ヒカリの三重の説得により陥落し、高校からはおとなしく制服を着ている。
「あ、おはよう鈴原、相田君」
「おっす委員長」
「おはよう委員長」
「何よアタシ達にはあいさつはなし?」
アスカが文句を付ける。
「何や朝から機嫌悪いな」
「うっさいわねー」
「まぁまぁみんなおはよう」
朝から盛大な口喧嘩が開始されようとした所に割って入ったケンスケがなだめる。このあたり中学生の頃に比べて成長が感じられる。
「おはよ」
「おはようございます」
マナとマユミもめいめい挨拶を返す。
「アスカはミサト先生が早朝から呼び出されたので不機嫌なのよ」
事情を説明するヒカリ。
「ふーん。…まぁわしらには呼び出しないんやから大したことやないやろ」
「そうなのかトウジ?」
「おう。…惣流は心配なんか?」
あまり深い意図はなかったのだが、例によって素直じゃないアスカは反発する。
「し、心配なんかしてないわよ、この三バカマイナス一!」
「惣流…いいかげんその呼び方はやめてくれないか?」
ケンスケが困った顔で言った。
「なによ!このアタシに文句あるっての!」
アスカは腰に手を当てるいつものポーズで威圧する。相変わらず女王様は健在である。
「何です?三バカマイナス一って」
マユミが顔をよせて聞く。ケンスケの口調からして以前から使われている呼称のようだが、聞いた覚えは無い。
「え、いや、私も知らないけど…あーでも」
何か引っ掛かったマナは懸命に昔、壱中にいたときの記憶をたどった。
「うーん…あ、そういや昔シンジ…」
「あ、マナ!」
ヒカリが止める間もなくそれはアスカの耳に入る。
ぴくりとした後、アスカは自分の席に戻る。
「さーもうすぐマヤがくるわよ。みんなも席に着いたら」
何事も無かったかのように告げるアスカ。
トウジ、ケンスケ、ヒカリは気まずそうに顔を見合わせた後、自分の席につく。
「あのヒカリさん、私たち何か悪いこと言っちゃいましたか?」
「あんなに元気のないアスカ初めてよ?」
ヒカリの席に顔を近寄せる二人。
はぁ~とため息をついてヒカリは二人を見た。
「後で教えてあげるから二人とも席について…」
<みたび ミサトの部屋>
「マナと山岸さん…ですか」
シンジは昔を思い返す。それは甘く、苦く、懐かしく…
「あの二人が今じゃアスカの親友とはおもしろいね」
「こうしてみるとシンジくんも結構やるわね~」
「…どういう意味ですか?」
ミサトの言葉に物思いから我に帰るシンジ。
「ぶぇっっつにぃ~」
シンジの冷たい視線を笑って受け流すミサト。
(…二年経ってもまだまだからかいがいがあるわね~)
「しかし山岸君は問題ないとして、マナちゃんの方はよく許可がおりたな」
マナは戦略自衛隊の特殊兵器の元パイロットであり、以前エヴァの情報収集を目的としてシンジに近づく任務を受けた。
もっとも結果は各方面の予想を大いに裏切ることとなったのだが…
「名前も前のままですね」
「ネルフに技術研修で送りたいっていう名目で正式な要請が来たの。まぁ、霧島さんだけじゃなく一般の戦自の隊員も一緒に多数要請が来てるけどね。まあ、さすがにこっちも警戒したんだけど、戦自も今更ネルフとやりあおうって気もないでしょうし、今の日本政府は親ネルフ派だしね。本人は…アスカや鈴原君みたいに普通の生活をしたいみたいだしね…
ま、リツコに言わせればエヴァの操縦方法がわかったところで動かせれるんもんなら動かして見ろってところみたいよ」
「おやおや」
「そうですか、マナが…」
感慨深げに呟くシンジ。
「あれーシンちゃん霧島さんに乗り換える気?そういやあの時も私やアスカを振り切って加持と一緒に霧島さんに会いに行ったのよね~」
「そういやそんなこともあったな」
「ぼ、僕は別にマナの事は…だ、第一僕は」
はっと気づいて口を閉じる。
「ぼくはだいいち、その次は何かな~」
ニヤニヤしながら顔を寄せる。
「葛城も人が悪いな、決まってるじゃないか」
合わせたようにニヤニヤしながらミサトの顔に自分の顔を寄せる加持。
「ミサトさん!加持さん!」
「はははは悪い悪い」
「シンジくんが変わって無くてお姉さんとっっっっってもうれしいわ~」
「はぁ…」
からかわれていても屈託のないミサトの笑顔を見ると怒る気にはならなかった。
(あの頃は笑っていても瞳の奥に悲しみが…)
シンジはたぶんとても暗い顔をしてたのだろう。ミサトが慌てて言った。
「どうしたのシンジくん?何かつらいことでもあるの?」
「いえ、いいえ。ミサトさんが本当に幸せそうなんで僕も嬉しくなって」
「え、あ…」
「なんだ照れてるのか葛城?」
「照れてなんか無いわよ!」
真っ赤になって怒鳴るミサト。説得力皆無である。
「まあそれはそれとして報告を読もう」
「そうですね」
「む~!!」
なにやら体よくあしらわれた気がしてむっとするミサト。
(…これじゃまるで加持が二人いるみたいじゃない!!)