9月。季節はすっかり秋・・・ではなく相変わらず常夏の第三新東京市。
緩やかな気温の季節変動こそ戻りつつあるがそれでもなお日本は常夏の国のままであった。
時刻は朝8時10分。朝のこの時間でも夏服姿で道行く人々の中にはうっすらと汗をかいている人も多い。はっきり言って暑い一日を予感させる朝であった。
いつものように登校する二人。こいつら暑くないのか?と突っ込みを入れたくなるぐらい、二人は腕を絡めてぴったりと寄り添って歩いている。
誰が見ても恋人同士の二人。制服姿で学校に登校する途中とすぐに判る。
こざっぱりとした髪型の整ったやさしい顔立ちを持つ長身の少年。
容貌は平均点以上のはずなのだが、こうしていると何一つ目立つところのない平凡な少年に見える。
背も高く柔和な表情はハンサムと称しても嘘では無いはずなのだが、やや細目のその身体付きと外見からでも推測できる穏やかそうな性格も、異性から見て好ましい存在のはずなのに、その少年自体はまるで目立たない。
それは少年の腕を取る少女の存在のため。
日本人とは思えないそのスタイル。腰の位置からして違う。
左右から結い上げた金色に輝くやわらかな長い髪。腰まで届きそうなその金髪は少女の動きにあわせてしなやかに陽光に躍っている。
だが特筆すべきは誰もが目を奪われる白く美しい顔立ちだろう。
整った目鼻立ち。薄い桜色の唇。海よりも深く空よりも澄んだ碧い瞳。
ガラス細工の人形のようなその造形が生き生きとした表情で動いている。
やがて二人がいつもの十字路にやってくると二人を待つクラスメートの一人の少女の姿が目に入る。
まじめで几帳面な性格をうかがわせる左右に分けて結んだ髪。健康そうな少しそばかすの残る整った少女らしい顔立ちも人並み以上に可愛らしく、この少女もまた美少女であった。
「おっはよう!ヒカリ!」
そばかすの残る少女の姿に気付くと、金髪の少女はそれまで寄り添っていた少年の腕からするりと離れ、小走りにクラスメートの元に駆け寄った。
少年は目を細めて走って行く少女を見守っている。
「おはよう。アスカ。碇くん。」
そばかすの少女の名は洞木ヒカリ。そして駆け寄る少女の名は惣流・アスカ・ラングレー。少年の名は碇シンジ。第一高校1年A組のクラスメートである。
「おはよう。洞木さん。」
少し遅れて二人の少女に追いついたシンジもヒカリに挨拶する。
ここから学校までは二人の少女が先を歩き、その後ろをシンジが歩くのが彼ら三人のスタイルだった。
身体の前でカバンを両手に持ち明るくも清楚な雰囲気のヒカリに対して、正反対にカバンを後ろに持って元気いっぱいに身体を動かすアスカの姿を常に目で追いながら、シンジは少し離れてゆっくりと歩く。
改めて呼びかけられない限り二人の少女の会話はほとんど聞こえない。そんな距離を自然に取る。少女達は笑いながら小声で楽しそうに話している。
アスカ・・・昨日は少し気になったけど・・・今朝はなんでもないみたいだ。
いつもと変らぬ朝の少女達の姿を見てシンジは何かほっと安心していた。
アスカの様子が常と違うような気がしたのは自分の気のせいだったのだろう。
昨夜の夕食のメニューは久しぶりのローストチキンだった。
下校途中にアスカと寄ったスーパーで地鶏フェアと銘打って各地の名産地鶏を各種並べて売り出していたのだ。
鶏肉は煮ても焼いても蒸しても揚げても、どんな調理方法でも美味しく食べられる。皮や油を嫌う人もいるが二人の保護者であるミサトを含めて、葛城家の住人に嫌うものはいない。
「やっだぁ。この鶏真っ黒じゃない。こんなの美味しいのかしら?」
カゴを片手のシンジと二人で珍しそうに日本の地鶏を見繕っていたアスカが、とあるコーナーで足を止めた。
そこには他の鶏とはまるで違う真っ黒な鶏がコーナーの一角を占めていた。
シンジは興味深そうに1羽1羽雑菌に侵されないように真空パックされているその黒い鶏を手に取って、体表だけではなくその内側まで真っ黒であることを確認した。
「見掛けは黒くて不思議に見えるけど、きっと美味しいと思うよ。」
「へぇ。シンジはこの鶏のこと知っているの?」
怪訝そうに問い返すアスカにシンジは笑いながら応えた。
「あそこのカードにウコッケイと書いてあるよね。
僕も実物を見るのは始めてだけど、確か中国が原産の鶏だと思うよ。
美味しいし身体にも良いらしいんだ。」
「そうなんだ。でもなんだかちょっと気持ち悪いわね。」
「黒いのは嫌?」
「う~ん・・・やっぱり嫌かな?」
「イカスミスパゲッティだって黒いじゃない?」
「それはそうだけどさ・・・シンジはこれ食べたいの?」
「うん。食べてみたいな。」
「シンジが食べたいのなら買ってってもいいんだけどさ・・・
アタシこんな丸ごとの鶏なんて料理できないわよ。」
「じゃあさ、僕がこの鶏でローストチキンを作るから、アスカは美味しいつけあ
わせとチキンに会うスープか何かを作ってくれないかな?どう?」
「それならいいわ。今日は特別に厨房に立ち入ることを許可してあげる。」
今一つ黒い鶏には乗り気ではなさそうだが、シンジの申し出にアスカは笑顔で応えてくれた。シンジもにっこりと笑って今夜は腕を振るおうと決意する。
2年前と異なり現在の葛城家の家事全般はすべてアスカが取り仕切っている。
シンジが家事の分担を申し出たのだがアスカは頑として譲ろうとしないのだ。
それがどんなに大変なことかを十二分に知り尽くしているシンジだけに、どうにかして分担しようと手をつくして、女性の下着類以外の洗濯とアスカが体調の悪いときの料理当番だけはなんとかアスカの了解を取りつけ、掃除などその他の二人で協力できる仕事は二人でいっしょに行うことで決着したのだ。
以後普段の日にシンジが台所に立つためにはアスカの許可が必要になっていた。
美味しいローストチキンを家庭で作るのは結構大変である。
何が大変と言って下準備ほど大変なものはない。
下準備とはひたすらにオイルを鶏全体にもみ込むだけのことなのだが、表面だけではなく開いた腹の内側にも徹底的に塗り込む必要があるのだ。
これが美味しいローストチキンを作るための重要な最初の工程となる。
実際かなりの体力と時間が必要で女性には辛い作業なのだ。
シンジはオイルを塗り両手でいっしょうけんめいに鶏にオイルをもみ込んだ。
この黒い鶏を選ばず他の種類の鶏を買ったとしても、ローストチキンのような料理を作るのなら最初から手伝いを申し出るつもりだったから、シンジは楽しく下準備をしていた。
アスカには長ネギや香草類を下ごしらえしてもらって、それを30分ほどオイルもみした鶏の腹にぎっしりと詰めてから凧糸で少し隙間を残して腹を閉じ、さらにその隙間からもうこれ以上は入らないというぐらい香草類を詰め込んでから、その隙間を凧糸で閉じてようやく後は焼くだけの状態になる。
これを適度に熱したオーブンに入れじっくりと火を通してやればできあがりだ。
もちろん途中に何度か皿の上にたまる熱々の煮汁をすくってチキンの上からかけてやる作業は必要であるが、それも大切な工程だがさほどの手間では無い。
一通りのローストチキンの準備が終わった頃ミサトが帰ってきたので、オーブンの温度設定を済ませたシンジもアスカに台所を追い出された。
ここからはアスカの領分ということだ。
シンジは素直にアスカに後を任せ風呂の準備に取り掛かって、ミサトがすっきりと一番風呂から出てくる頃には、こんがり焼けた良いにおいが家中に漂っていて夕食はほぼ完成という段階にいたっていた。
アスカが作った冷たいパスタサラダと、冷たいジャガイモのビシソワーズがダイニングテーブルに並べられて、その中央の鍋敷の上にオーブンから取り出したローストチキンを皿ごと置くとできあがりだった。
タンクトップにホットパンツといういつものラフないでたちで、ぬれた髪の毛をタオルでガシガシと乱暴にこすりながらバスルームからでてきたミサトは、その良い匂いとテーブルに並んだかなり豪華な夕食に嬉しそうに席に付いた。
「うっわぁ。なんか豪勢な晩御飯ねぇ~~~。」
シンジからビールを受取りながらミサトが嬉しそうに顔一杯に笑を浮かべた。
「今日のメニューは冷製パスタサラダに冷たくひやしたビシソワーズ。
それにちょっと豪華にローストチキンよ。」
アスカがローストチキンを切り分けるためのナイフとフォーク、そして取り皿を運びながら明るい声でミサトに応えた。
「学校の帰りにスーパーによったんですけど、ちょうど地鶏フェアとかでちょっと変った鶏を買ってきたんです。珍しい鶏なのでローストチキンに挑戦してみたんですけど、きっと美味しくできたと思いますよ。期待してくださいね。」
ミサトに手渡したのとは別に何本かのビールを持ってきてテーブルに並べ終えたシンジも席に腰をおろしながらミサトに応えた。
「へぇ・・・じゃぁ今夜の晩御飯はシンちゃんが作ったの?」
「違いますよ。僕はローストチキンの下ごしらえをしただけで、後はいつも通り全部アスカが作ってくれたんですよ。ローストチキンだって焼いて面倒みてくれたのはアスカですからね。僕はちょっと手伝っただけです。」
何気なくフォローするシンジを見てミサトの笑顔の質が変った。
「ほんっとに仲がいいわねぇ、あんたたち。おねぇさんうらやましいわ。」
「「ミ、ミサト(さん)!・・・」」
ようやく自分の席につこうとしていたアスカの声とシンジの声が重なった。
赤くなる二人を見てくっくっくっと声を殺してミサトが笑っていると、怒ったふりをしたアスカがくってかかった。
「も、もう!くだらないことばかり言ってると食べさせてあげないわよ!」
料理の出来は非常に良かった。とても美味しくできたと思う。
実際、アスカが考えた末決めたメニューのビシソワーズスープも主食がわりのパスタサラダもさっぱりと食べやすく、濃厚なコクのある黒いローストチキンとその汁をたっぷりと吸い込んだ温野菜にぴったりの品揃えだった。
シンジもミサトも大満足していたし、アスカも嬉しそうに食事を楽しんだはずなのだが、食後の後片付けを終えたあたりからシンジはなにかアスカの笑顔が沈んでいるような気がしてならなかった。
アスカが沈む原因に心当たりが無いだけにそれを少し不安に思うシンジだった。
「・・・で、最初は気持ち悪いと思ったウコッケイという鶏も、食べてみたらすごく美味しくって正直驚いちゃった。
少し値段が高いんだけどあの味を考えれば安いくらいかもしれないわね。
そう思うぐらい美味しいローストチキンだったのよ。
ヒカリも今日あのスーパーに寄ってみたら?本当に美味しいのよ。」
ヒカリと学校に向かいながらアスカは昨夜シンジといっしょに作った晩御飯のメニューについて話していた。
嬉しそうに話すアスカを見て、そのウコッケイという鶏が美味しかったから嬉しいのか、それともシンジといっしょに料理したことが嬉しいのか、そのどちらなのかしら、と思うヒカリだった。
「あら・・・せっかくだけど、わたしには無理よ。」
「どうして?本当に美味しいのよ。」
「だって丸ごと1羽で売っているのでしょう?
わたしだってアスカとおんなじ。ローストチキンなんか作れないもの。
それにうちは小さな子達しかいないから作っても食べきれないしね。
ねぇ、それって半身とか切り分けては売っていないのかしら?」
「どうだったかしら。アタシは1羽づつのパックしか見なかったと思うなぁ。
そうだ。シンジに聞いてみるね。」
くるっとその場で振り返ってアスカがシンジを呼び寄せた。
「ねぇ、シンジ!」
「なに。アスカ?」
「昨日のウコッケイだっけ。あの鶏って切り売りとかしてたっけ?」
アスカの突然の質問に少し首を傾けて考えてからシンジが答えた。
「スーパーの店頭には無かったと思うよ。
でもあそこのスーパーなら店員さんに頼めば切り売りしてくれる・・・と思う。
試食コーナーにも色々並んでいたから、きっと大丈夫だよ。
あの鶏は美味しかったから洞木さんもきっと気に入ると思うよ。」
「ありがと。」
笑顔で応えたシンジににっこりと微笑んで、もう一度くるっと振り返ったアスカは再び歩き出しヒカリとのおしゃべりに熱中する。
そんな唐突なアスカの行動にすっかり慣れているシンジも苦笑しながら再び少し間を置いて二人を追って歩きはじめる。いつもの朝の光景だった。
「でもさ、ちょっと悔しいのよね。」
それまで明るい表情で話しつづけていたアスカが少し表情を曇らせた。
「なにが悔しいの?」
「シンジよ。」
「どうして?昨日だってお料理も手伝ってくれたんでしょ?
わたしはうらやましいな。碇くんって本当にやさしいわよね。」
ヒカリはアスカの悔しがる理由がよく判らず首をかしげながら応えた。
「だってさ・・・アタシが作れる料理って全部あいつも作れるのよ。
それなのにあいつはアタシが作れない料理も作れるんだもの。
昨日のローストチキンだってそう。アタシは焼いただけ。
手間のかかる面倒なところは全部あいつがやってくれたんだもの。
アタシ今でも・・・昔あいつが作ってくれた料理の半分も作れない。」
少し拗ねたような表情で話すアスカをヒカリは優しそうな表情で見つめていた。
「そうなの・・・それが悔しいのね。」
「お料理を美味しく作るのって難しいね。自分でやってみて本当にそう思った。
アタシ反省してる。昔は全部シンジに押し付けてた。あいつに甘えてた。
だから今度はアタシの番。アタシの作ったものシンジに食べて欲しい。
シンジに美味しいお料理作ってあげたい。だけど・・・」
「判ったわ。アスカ、協力してあげる。」
「えっ?」
ヒカリは自信にあふれた笑みを受かべてアスカに請け合った。
「大丈夫。確かに碇くんのレパートリーをすぐに自分のものにするのは難しいわ。
なら違う方法にしましょ。アスカにしか作れない碇くんの知らないメニューを、それもとっても美味しくて何度も食べたくなるような、そんなメニューを覚えて碇くんを驚かせてやりましょうよ。
わたしも何度かアスカの家に招かれて碇くんのお料理を食べてるんだから。
碇くんのレパートリーや味付けはおおよそわかっているわ。」
「・・・ヒ、ヒカリ・・・ありがと。」
「任せて。アスカのために絶対に美味しいレシピ考えてあげるわ。」
とたんに金色のやわらかいものでヒカリの視線がふさがれた。
アスカがヒカリに抱き着いたのだ。そして小さな声が聞こえた。
「・・・ヒカリ・・・大好き。」
「わたしもアスカのこと大好きよ。」
ヒカリも小さな声で応えて、やさしく親友の背中を叩いてあげた。
突然往来で抱き合う二人の少女の後ろには、きょとんとした表情のシンジが立ち尽くしていた。何が起ったのか全く理解できない様子のシンジだった。
放課後が待ち遠しかった。ヒカリとは朝から何度もメッセージを交換した。
まじめなヒカリが自分のために授業そっちのけで一生懸命考えてくれていることがとても嬉しかった。
『碇くんのレパートリーって和食が多かったわよね?>>アスカ』
『うん。でも中華や洋食も得意よ。>>ヒカリ』
『洋食ってフレンチとか本格的なものまで作れるのかな?>>アスカ』
『ううん。そういうのはあまり好きじゃないみたい。>>ヒカリ』
『イタリアンとかは?>>アスカ』
『ラビオリとか一般的なものは一通り作ってくれたかな?>>ヒカリ』
『そう・・・じゃ、ドイツの家庭料理なんかはどうなの?>>アスカ』
『そ、それが・・・前にどうしても食べたいって無理言っちゃって・・・
あいつ本まで買い込んで勉強してくれたらしくて・・・作れちゃうのよ。
だから、ドイツ料理も駄目!>>ヒカリ』
『本当にお料理得意なのねぇ>>アスカ』
『だから困っているんじゃない。何か思い付いた?>>ヒカリ』
『うーーーん。なんとなくね。>>アスカ』
『それじゃ判らんないよ。>>ヒカリ』
『任せて。きっちり考えて放課後までに間に合わせるから>>アスカ』
『お願いね>>ヒカリ』
週番とかの用事が無い限りは放課後はいつもシンジと二人か、ヒカリにトウジにケンスケを加えた五人で帰る。といっても週番ぐらいの雑用であれば必ず互いに相手の用事が終わるのを待っているのだが今日はそれでは都合が悪い。
「シンジ・・・今日はヒカリと約束してるの。」
カバンを持って帰ろうと誘うシンジに悪いと思いつつ誘いを断るアスカ。
ヒカリがアスカをフォローする。
「そうなの。ごめんなさい、碇くん。アスカ借りるわね。」
「なんや惣流がシンジと帰らんなんてえらい珍しいんやないか?
いいんちょと女同士の話でもあるんか?」
これまた鈍いトウジがせっかくのヒカリのフォローを台無しにする。
「うっさいわね。」
「鈴原はだまってなさい!」
「う・・・いやわしは別に・・・」
美女二人ににらまれたトウジがすごすごと引き下がる。
面白そうにDVDカメラを構えているケンスケがつぶやいた。
「トウジ・・・お前少しは気をつかわないと墓穴を掘るぞ。」
「お前かて同罪や。そのセリフはお前だけには言われとうない。」
シンジは一瞬だけ少し悲しそうな表情をしたが、そんな少女達の様子にとても大事な用事があるんだろうと察してすぐに笑顔を取り戻した。
アスカの申し訳なさそうな先の表情を見れば、自分が悲しそうな表情ではきっと彼女は心を痛めることだろう。
「洞木さんと約束があるのなら仕方ないね。僕は先に帰るよ。
でも・・・今日は遅くなるのかな?晩御飯はどうしようか?」
「え?いいえ・・・ちょっとした用事だから、少し遅くなるだけよ。
晩御飯作るのに間に合うように帰るつもりだから心配いらないわ。」
大切な用事だったら僕が晩御飯を作るからゆっくりしておいでよ・・・と言いたかったが、厨房を管理するアスカがそう言う以上素直にうなずくしかない。
「わかったよ、アスカ。でも帰り道には気をつけるんだよ。それじゃあね。
さて・・・と、トウジ、ケンスケ、いっしょに帰らないか?」
「わしは構わんで。ちょうどケンスケといっしょに帰るとこやったしな。」
「せっかく男三人で帰れるんだから、ちょっと寄り道していこうぜ。」
「たまにはそれもいいね。」
手を振りながら教室を出て行く三人をじっと見送るアスカの表情は笑顔だったが硬く握り締められたその両手にヒカリはアスカの気持ちが手にとるように判ったような気がした。だからアスカの耳元に顔をよせてそっと声をかけた。
「頑張ろう。ね?」
「・・・うん。」
ヒカリに連れられてアスカは真っ直ぐに街で一番大きなデパートの食品売り場に直行した。普通の食料品店では手に入らないような材料から持ち帰って暖めるだけで食べれる本格的調理済みディナーパックまで選り取りみどりの店構えだ。
「お休みの日じゃないと作れないような手間のかかるお料理じゃ駄目。
毎日でも作れるぐらい一見簡単そうに見えて、でもコツが判らないと絶対美味しくは作れない。そんなメニューじゃないとね。」
笑いながら次々といろんな食材を買い込んでゆくヒカリに、ただついて歩くだけのアスカだがその買い込むひとつひとつの食材の量を見て怪訝そうに質問する。
試しに調理してみるための材料を足してあるとしても多すぎるのだ。
「うち・・・三人家族だから、そんなに沢山食べられないよ。」
「アスカにはスペシャルコースを教えてあげるけど、試しに作った分は我が家の今夜のメニューにしちゃおうと思ってね。
いいアイデアでしょ?いっぱい練習して完璧に覚えなくっちゃね。」
「ヒカリの気持ちはとても嬉しいけど・・・でも時間もあんまり・・・」
「揚げ物2品にオーブンでの焼き物1品。それに切って盛り付けるだけのパンと塩付けのお魚というメニューなの。味付けにちょっと秘密があるのよね。
まだ3時半なんだから4時にはわたしの家で調理に取り掛かれるわよ。
下ごしらえを入れても1時間もあれば作れるはずだから。
買い物は先に済ませているわけだし、お家で作る分の下ごしらえもわたしの家で済ませてしまえるから、アスカも5時半ぐらいにはお家に帰れると思うわ。
調理だけなら30分もあればいいんだから大丈夫、充分に間に合うわよ。」
自信たっぷりに保証する親友の笑顔にアスカも安心したように微笑み返した。
「さぁ確かに時間に余裕があるわけじゃないのだから、手間をはぶけるところは徹底して手間をはぶくことにするわね。生クリーム仕立てのスープも買ったし、あとはピザ生地とタルタルソースを買って、葛城さんのためにちょっと変ったお酒を買えばお終いよ。」
数分後少女達は楽しそうに大きな買い物袋を抱え込んでデパートを後にした。
トウジ達と寄り道して遊んできたシンジが帰宅したのは午後5時を少しまわった頃だった。
ひょっとしたらと少し期待していたシンジだが、やはりアスカが帰った様子はなく無人のマンションがシンジを迎えた。
自分の部屋で制服から薄いスウェットの上下に着替えて、少し考えてからベランダに出て今朝乾しておいた布団を取り込むことにした。
本当は日が傾く前に取り込むのが一番良いのだが昼間は誰もいなくなる葛城家ではそんな贅沢は言っていられない。
それでも取り込んだ布団からは柔らかな太陽のにおいがするような気がして、シンジは思わず布団に顔を寄せて大きく息を吸い込んでしまう。
「あっ・・・」
とても良いにおいがした。これは・・・・・・アスカのにおいだ。
そう考えついたとたんシンジは真っ赤になった顔をあわてて布団から離して、慌ててアスカの部屋に布団を運び込み、取ってきたこれも洗いたてのシーツをきちんとかけてアスカのベッドをきれいに整えた。
なかなか火照りの取れない顔を気にしながら同じようにミサトの布団を取り込んできれいなシーツをかけてベッドをきれいに整える。
最後に自分の布団を取り込んで同じようにベッドメイクを終えたころようやく赤かった顔も普段のシンジの顔色に戻り、激しく躍っていた心臓も落ち着いたようだった。なんとなく後ろめたい気持ちが残り思わず左右を見渡してしまう。
・・・誰にも見られなくて本当に良かった・・・
そんなことを考える自分が可笑しくて思わず苦笑したシンジは、掃除機を取り出してリビングを掃除しはじめた。リビングから台所、そして廊下の掃除をしているところにアスカとミサトが連れ立って帰ってきた。
「「ただいま~」」
シンジが掃除機のスイッチを切って二人を出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま、シンちゃん。お掃除しててくれたんだ?いつも悪いわねぇ。」
ミサトがすまなそうに笑うと後ろのアスカがすかさず口を開いた。
「そう思うんなら少しはミサトも手伝ったらどうなのよ。」
「う・・・やっぱあたしって家事関係はちょっと苦手だしぃ・・・」
「ちょっとぉ?からっきしの間違いじゃないの?」
「・・・」
頬をひくつかせながら反論の言葉を捜して考え込むミサトの横を、笑顔のアスカが大きな買い物袋をぶら下げてすり抜けた。
アスカの笑顔を見てシンジは何か自分まで嬉しい気持ちになっていた。
「おかえり、アスカ。いっぱい買い物してきたんだ。手伝うよ。」
そう言って差出したシンジの手に、アスカは買い物袋ではなく反対の手に持っていたカバンを押し込んで言った。
「こっちはいいから中のお弁当箱出したらアタシの部屋に置いといてね。」
そう言いながらシンジの横もすり抜けてふと思い出したように立ち止まり、振りかえったアスカが満面の笑みを浮かべてシンジに向かって宣言した。
「ただいまシンジ!二人とも今夜のご飯は期待しててね!」
おもわず頬を赤くして立ち尽くすシンジの後ろでミサトが驚いたように言った。
「どうしちゃったの?アスカ、すっごいご機嫌ねぇ。」
「・・・ほ、ほんとに、どうしたんでしょうね。」
あわてて取り繕うように口を開いたシンジだったが、既にシンジの前に回り込んだミサトが顔を赤くしているシンジの顔を覗き見ながらニヤッと笑った。
「どうしたのかしらぁ?シンちゃん顔が真っ赤になってるわよぉ。」
「な、なんでもないですよ。」
「ははぁ~~ん。アスカの笑顔に見とれちゃったってわけね。
ほんとアスカって、か~わいいもんねぇ。」
「そ、そんなんじゃありませんよ。」
「じゃぁどうして顔が赤いのかなぁ~~~?」
「うっ・・・」
追いつめにかかるミサトに何か反論しようとしたシンジだが、その何か別の言い訳を必死に思い出そうとした瞬間にシンジが思い出したのは、アスカの布団を抱きしめてしまったつい先ほどの出来事だった。
とたんに全身を真っ赤にしたシンジを見て何を思ったのかミサトが手をひらひらさせながらきびすを返した。一人で勝手になにかを思い込んだらしい。
「ま、いいけどね。まだ赤ちゃんだけは作っちゃ駄目よぉ。(はぁと)」
「なっ・・・・!!!!」
全身を朱にそめて立ち尽くすシンジをその場に残し、楽しそうな足取りで立ち去るミサトのその顔には当然のように勝利の快感の色が滲み出していた。
さんざん人の前でいちゃついておいて今更照れてるんだから可愛いもんね。
ほんっとにこの子達といっしょに暮してると退屈しないわぁ。
そんなことを考えながら意気揚々と部屋に向かうミサトだった。
いつものようにお風呂の準備をしてミサトの姿がバスルームに消えるのを確認したシンジはリビングでノートパソコンで宿題と取り組んだ。
アスカの協力もあってシンジの学力は少しづつ向上していた。今日も30分程で宿題を片づけることができ、シンジはぼんやりと台所で晩御飯の料理を作るアスカの後姿を眺めていた。
薄いピンク色のTシャツに同じ色のホットパンツからのびるすらりと健康そうなアスカの忙しく動く両腕と軽快に動く両足の白さに思わず目を細めてしまう。
やっぱり僕の思い違いかな・・・?
アスカの姿をながめながらシンジは今日一日の学校でのアスカの様子を思い返していた。
いつもならお節介なほどシンジのノートパソコンを覗き込んで、マンツーマンの家庭教師のようにシンジの勉強を見てくれるのだが、今日も確かにシンジの事を気にかけてくれてはいたのだけど、いつもよりも自分のノートパソコンを熱心に操作していたように思う。
それになんとなく注意力が無いというか、そわそわして落ち付きが無い様子で、いつもの自信に満ち溢れて何事にも堂々としているアスカとは思えなかった。
そしてシンジは昨日の夜の少しふさぎ込んだように見えたアスカに感じた違和感と同じような感覚を今日のアスカの姿に見たような気がしていたのだ。
でも台所に立っているアスカの様子はすごく楽しそうで元気いっぱいで、いつものアスカそのものに見えたから、それはやはり自分の思い違いだったのだろうと考えるシンジだった。
「・・・あれ?アスカ、その髪飾り・・・いつもと違うね。」
考え事をしながらアスカの後姿を眺めていたシンジは、アスカの金色の髪がいつもよりもゆったりとその背にかかっていることに気が付いた。
料理をするときのアスカは普段はリボンやゴム紐で髪を後で束ねたり、ポニーテールにまとめていることが多い。
でも今日は髪の毛をまとめないでそのまま後ろに流している。アスカの髪は腰に届こうかというほどに長かったから、これでは料理をするには不都合じゃないのだろうか?そう思って改めてアスカを眺めてみると今日は白いカチューシャで前髪をあげてかわいいおでこを出していた。
「なぁに?シンジ。」
その問いかけがよく聞こえなかったらしく、アスカは台所で振り向いてシンジに問い直した。
「いや、アスカの髪型・・・いつもと違うんだなと思って。」
「えぇ~~・・・あんた、今ごろ気付いたっていうの!?」
シンジがしまったと思った時には既に遅く左手を腰にあてたアスカが菜箸をにぎった右手をずばっとシンジに向け少し怒った表情を作った。
目が笑っているから本気で怒っているわけでないことはすぐに判ったのだが、シンジはこういうアスカもかわいいなと見とれてしまって、うまく言葉を返すことができなかった。
「もうシンジったら・・・いつも言ってるでしょ。
どんなお洋服を着ているか、どんなアクセサリーを身につけているか、ちょっとでもいつもと違うところがあったら、すぐに誉めてあげるのが女の子を喜ばせるコツなんだって。」
「ご、ごめん・・・」
肩をすくめて呆れているアスカにシンジは謝ることしかできなかった。
「・・・まぁいいわ。とにかく気付いてくれたことには違いないんだから。
シンジから声をかけてくれたんだし、今日のところはそれで許してあげる。
で、どう?シンジはこういう髪型は嫌い?それとも好き?」
ちょっと視線をそらしてポーズを作ったアスカは文字どおりかわいらしくて、シンジはちょっとどきどきしながらアスカを誉めた。
「うん。とってもかわいいよ。そういう髪型もよく似合うと思う。」
ちょっと赤くなりながらそう言うシンジに、よしよしとアスカはうなずいた。
「そうそう。そう言うセリフが一番嬉しいんだからね。」
誰が、とは言わなかったがアスカは嬉しそうな微笑みを浮かべてシンジに背を向けた。頬が少し赤くなっていることをシンジに知られたくなかった。
「晩御飯。もうすぐできるから。」
薄切りの白身魚の切り身に、解凍したミックスベジタブルと秘密の隠し味を忍ばせたバターを巻いて手早く形を整える。
同じように薄切りの鳥肉にも隠し味を忍ばせたバターで炒めたキノコをたっぷり巻き込んで同じような形を作る。
きっとこれだけならシンジは隠し味に気付いてしまうだろうけど、この隠し味をさらに覆い隠してしまう仕掛けがちゃんとあるんだから。
バットに広げたパン粉に色んなスパイスを混ぜ込んでシャキッとした下味を付けてあるから、このパン粉でまぶして油であげればバターに仕込んだ隠し味は、スパイスと油の香りと渾然一体となって絶対に判らなくなる。
それはヒカリの家でアスカ自身が確認してある。自分でも味にはうるさい方だと思うけど、自分が入れた秘密の隠し味なのに自分でも区別できなったのだから。
それにいっしょに出すつもりのクリームスープ。これにもスパイスを利かせて鳥肉とソテーしたキノコを入れてある。ちょっと強めの味付けのスープをマグカップに入れてその上をパイ生地で蓋をして適温のオーブンでパイ生地の表面が焼き色が付くまで焼いてあげればできあがり。
スープの水蒸気でパイ生地がふっくらとふくらんで香ばしい匂いが、スパイスの利いた美味しいスープをさらに美味しく仕上げてくれる。
このスープがさらに先の隠し味を判らなくしてくれるはずだから。
ミサトのバスタイムはだいたいいつも同じぐらいの時間がかかるから、ミサトがお風呂から上がってきたころにできあがるよう時間を計る。
スープは少し冷めたぐらいが食べ易いけど、油であげる二品は冷める前にいただく方が美味しいからだ。
付け合わせの刻み野菜は既にお皿に盛り付けてあるし、パイ生地で包んだスープはオーブンの中で焼いている。
取り出した黒パンを小さく切り分けお皿にのせて、その横に切り分けた黒パンの大きさにあうように同じく小さく切った塩漬けのイワシの切り身をパンと同じ枚数のせて、バターの固まりとバターナイフをそえる。
そろそろかな?ミサトが湯上がりのシャワーを浴びはじめたみたい。
アスカは衣を付けた二種類のおかずを熱した油の中にやさしく落とし込んだ。
「はぁ~~~きっもち良い~~~~~~!」
さっぱりとした顔でバスルームを出たミサトに、いつも通りビールを持っていってあげようと台所にきて冷蔵庫の扉に手をかけたシンジをアスカが止めた。
「今日はビールは駄目。」
「えっ?」
「冷凍庫にね、小さなグラスと透明なボトルがあるからそれを出して頂戴。」
はたして冷凍庫の扉を開けると小さなグラスとお酒とおぼしきボトルがあった。
こんなことして凍っちゃうよと思いながらボトルを取り出したシンジだが、そのボトルの中身は液体のままで凍ってはいなかった。
「なんなの?お酒みたいだけど・・・」
「クラクスというウォッカよ。」
「へぇ・・・ウォッカなんだ。ウォッカって冷凍庫でも凍らないんだね。」
「アルコール度数がものすごく高いのよ。それだって40%以上あるんだから。」
「はぁ~~すごいね。だからグラスもこんなに小さいんだ。」
「いくらミサトだってこんなに強いお酒をコップで飲ませたら死んじゃうわよ。」
くすくす笑いながらアスカがシンジの背中を押した。
油を切り終えた二品のフライも既にお皿に盛りつけ済みだった。
オーブンから出したスープも美味しそうに膨らんでいる。
「さ、ミサトにはもうちょっとだけ我慢してもらってお料理並べましょう。」
はやくビールが飲みたくてうずうずしていたミサトはシンジの手にしたボトルを見てちょっと悲しそうな顔をしたが、続けて目の前におかれたキンキンに冷えた冷気をまとう小さなグラスを見て目を輝かせた。
「うっはぁ~~。これって、ひょっとしてウォッカじゃないの?」
「よく判りましたね、ミサトさん。」
「そりゃぁね。あたしだって伊達に30年も生きちゃいないわよ。」
「32年の間違いでしょ。」
アスカが笑いながら配膳する。シンジも苦笑しながらアスカを手伝った。
いつもなら歳のことを言われるとすねるミサトだが、今日はすっかり目線が冷たいグラスとほんの少し色のついた液体をたたえたボトルに据えられていて、アスカの言葉も耳に届いていない様子だった。
「まだ飲んじゃ駄目?」
「だ~~め。子供じゃないんだから少しぐらい待てないの?ミサト?」
「だってはやく飲みたいんだもん。」
どちらが年上か判らない会話をする女性二人。シンジもにこにことしている。
料理を並べ終えてシンジとアスカが席につくなり待ってましたとミサトの手がボトルに伸びた。
「くぅ~~っ。冷えてるぅ。」
嬉しそうにボトルの封を切って小さなグラスになみなみとウォッカを注ぐと、冷えたグラスの周囲に気化したアルコールの乱流がさらなる波紋を描きだした。
その時のミサトの表情は、はやく飲ませて、と二人に訴えかけていた。
「「いっただっきまーーーーす」」
二人がそう言ったとたん、ミサトはグラスを手にもって一気にあおっていた。
「ぷっはぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~おいっしぃ~~~~~~~」
ミサトがようやく料理に手を付けたのは、すでに彼女がウォッカを三杯もあけた後のことだった。
サクッとした衣にナイフをいれるとジューシーな汁が溢れ出してくる。
それと同時にふわっとバターの香りが漂ってきて、スパイシーな衣の香りとまざりあって、いかにも食欲をあおるような香りとなる。
シンジは一口食べて驚いた。とても美味しい。こんなに強い香りなのに全然食べる邪魔にならないどころか、この香りが味を引き立てている。
「この魚のフライ。とっても美味しいよ。初めて食べたよ。」
「でしょう?今日はちょっと本気を出したってとこかしら?」
アスカはにこにこしながら応えた。そしてシンジにもう一つのフライも一口食べてみて欲しいとお願いする。
「あれ?こっちは鳥肉なんだ・・・あ、キノコが入っているんだね?」
アスカはじいっとシンジがそのフライを口にするのを待っていた。
再びシンジの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「こっちも美味しいよ。すごいや。似ているようで全然違う味なんだね。」
「これはねキエフって言うのよ。先に食べてくれたのがタラカツレツって言うの。
そしてこっちのパイ生地の方はガルショーク。スプーンでパイ生地を破って食べるんだけど、中に熱々のクリームスープが入っているから気をつけて食べてね。
あ、そうそう。パイ生地をスープに付けると美味しいの。試してみて。」
シンジが驚く様子が嬉しくてアスカは一生懸命に今日の料理を解説した。
アスカの言葉にひとつひとつうなずいてシンジは美味しそうに料理を食べ続る。
「こっちのパンは黒パンでね。少しすっぱいパンだけど、バターをちょっと塗ってこのイワシの塩漬けを乗せて食べるの。」
「へぇ・・・これも初めて食べる味だけど、とっても美味しいよ。
このガルショークというスープといっしょに食べるとますます美味しいね。」
「・・・ぷはぁ。ほんっとに美味しい。このお酒にぴったりねぇ~~~~~!」
それまで蚊帳の外だったミサトがいきなり大きな声で二人の会話に割り込んできた。びっくりして二人がミサトの顔を見ると、そこにはめずらしく真っ赤な顔をして酔っ払い以外の何者でもない据わった目線のミサトがいた。
ミサトの前に並べられたお皿は半分も手がついていない。どうやら二人の会話を聞きながら、あれこれに少しづつ手を付けてはいても、ウォッカを飲む方に努力を傾けていたらしい。既にクラクスのボトルは半分以上が飲み干されている。
「ミ、ミサト・・・それ見かけより強いお酒なんだよ!」
今更遅すぎた。アスカの注意などミサトの耳に入っていない。二人の見ている前でグラスをくいっと傾けて中身を飲み干したミサトは、手酌でグラスを満たすとそれもまた一気に飲み干した。
普段飲んでいるビールの10倍以上のアルコール濃度のウォッカをぐびぐびとボトル半分以上も飲んでいるのだ。摂取したアルコール量はとうにビール1ダースを飲んだのに等しいはずだ。いくらミサトが酒豪でも、わずか20分余りの時間で吸収しきれるアルコール量ではありえない。
「へぇ?そうなのぉ?でも、これとっても美味しいわよぉ~~~~。」
さらにもう一杯グラスを飲み干したミサトの手からグラスがからんと音をたててテーブルに転がり、次の瞬間幸せそうな表情を浮かべていたミサトの身体が横に滑るように椅子から転げ落ちていった。
「「ミサト(さん)!」」
完全に沈黙したミサトを寝室まで運ぶのは大変だった。
シンジは後のこともあるしリビングのソファに寝かせてあげようとしたのだが、アスカが単なる飲みすぎだから大丈夫と寝室へ寝かせることを主張したのだ。
枕元に念のために洗面器を用意してタオルとティッシュペーパーも側に置く。
サイドテーブルを引き寄せて冷たい水を入れたピッチャーとコップも置いた。
「あ~あ・・・せっかく頑張って作ったのに冷めちゃったなぁ・・・」
ダイニングテーブルに座り直したアスカが寂しそうにつぶやいた。
二人はほとんど食べ終えていたとは言え、やっぱり食べ残しの冷めてしまった料理が並んでいるテーブルの光景は寂しいものだった。
「そうだね。今日の料理は初めて食べるものばっかりだったし、とても美味しいものばかりだったのにね。残すなんてもったいないな。暖め直して食べようよ。」
「うん・・・でも・・・」
納得出来ない様子のアスカにシンジがやさしく呼びかけた。
「ねぇ、アスカ・・・」
「なに?シンジ・・・?」
シンジはまっすぐにアスカの顔を見つめて言葉をつないだ。
「今日はちょっと残念だったよね。だからというわけじゃないんだけど・・・
またこの料理、作ってくれないかな。
本当にとても美味しかったんだ。また食べたい。そう思ったんだ。」
「シンジ・・・」
「ね、いいでしょ?また作ってくれないかな?今日の料理は僕も今まで一度も食べたことが無いものばかりだった。そしてとっても美味しかったよ。
きっと僕のために頑張って作ってくれたんだよね?そう思うのは僕のうぬぼれなのかな?ちがう?」
シンジの顔にやわらかな微笑みが浮かんだ。
その微笑みを見てアスカは思わず涙ぐんでしまった。
「・・・うん。また・・・作ってあげるね。」
「ありがと。アスカ。約束だよ。」
「うん。約束する・・・」
食事を終えて後片付けを済ませた二人は、夜が更けるまで仲良くリビングのソファで話し続けていた。
寄り添うようにすわっているアスカの頭はシンジの肩にもたれかかっていた。
「ねぇ?今日の料理はどこの国の料理だったの?」
「・・・知りたい?」
「うん。教えてほしいな。」
「あのね。ロシアの料理なのよ。」
「へぇ~~ロシアなのかぁ。よくそんな遠い国の料理を知っていたね?」
「馬鹿ね・・・ドイツとロシアって近いのよ。」
これは少し嘘。近くてもアスカはロシアの料理など知らない。
「それはそうだけど・・・あ、そうか。それでカチューシャだったんだ?」
「え?」
「カチューシャってロシア語なんでしょ?」
「あら・・・良く知っているわね。」
「アスカに言われてアクセサリのことも少しは勉強したんだよ。」
「その割には気付いてくれるのが遅すぎたんじゃない?」
「ごめん・・・」
「いいの。ちゃんと言ってくれたんだから気にしないって言ったでしょ。」
「うん・・・」
「ウォッカもね・・・お料理にあわせたつもりだったのよ。」
「そうか・・・そうだよね。ウォッカといえばロシアのお酒だもんね。」
「まぁそうなんだけど・・・失敗しちゃったわ・・・
ミサトが酔っ払って倒れちゃうなんて考えてなかったもん・・・」
「そうだね・・・でも僕はちょっと嬉しいかな・・・」
「・・・どうして?」
「だってミサトさんが起きていたら、こうしてゆっくりできないじゃない?」
「・・・・・・」
「アスカはうれしくないの?」
「・・・・・・ばか・・・」
夜雷です。
しばらく書けることは何も無いと思っていたのですが・・・突然このお話しを思い
付きました。思い付いたらやはり書きたくなりました。
書き下ろしなので、このまま掲載しようかどうしようかと少し迷ったのですが・・・
思い切って公開いたしました。いかがでしたでしょうか?
ご感想やご意見ご指導などいただけましたら幸いです。